「結局さ。ここまで来て分かったことは、宇宙戦艦ヤマトとは、古代進のキャラの魅力によって駆動される作品であり、ヤマト2199に最も足りないのは、古代進の古代進らしさだってことだ」
「結局、古代進のどこがいいわけだ?」
「古代進はね。地球を救う宇宙戦士である前に1人の少年なんだよ。そして、少年は馬鹿げたことに頭を支配されたり、馬鹿げた行為に出たりする。グダグダなんだ。そのグダグダさが古代進であり、彼の魅力であり、物語としての駆動力なんだ」
「つまりなんだい?」
「確かに、ドメルのライバルと言えるのは沖田だった。でも、デスラーの敵は古代なのだよ」
「古代はグダグダなのに?」
「デスラーもグダグダなのだ。実際はね」
「どのへんが?」
「先頭に立ってヤマトに乗り込んでくるぐらい」
「確かにグダグダだ」
「そして、大胆に飛び出すデスラーと大胆に飛び出す古代はヤマト艦内で出合ってしまい、それから長く続く因縁が始まるわけだ」
「ではなぜグダグダの古代が作品の魅力たりえるのだ?」
「それはね。少し格下に見えるキャラが成長していく物語にこそ、感情移入が可能だからだよ。死にかけの沖田に感情移入なんか普通はできない。まして機械に過ぎない宇宙戦艦ヤマトそのものに感情移入なんかできない」
「ヤマト2199は、宇宙戦艦ヤマトそのものが主人公であり、沖田が主役だという解釈でこけたってことだね」
「そう。ヤマト2199はキャラの成長という要素をかなり切り捨てている。まあヤマト1977も同じなんだがね。まあともかく、成長という要素は主に女山本に与えられることになり、無理を言って無断出撃までして、多少はドラマに寄与したがね。でも後半はまともな出番も無い。女山本の物語にはきちんとした結末が付いていない」
「むしろ、きちんとした結末が付いていないことで、中途半端感が強調されてしまっているわけだね」
「その点で、ヤマト1974は各キャラの物語にもっと筋が通っている。山本は、被弾した状態で着艦することがドラマで、あれは着艦したことでドラマが終了する。続きはない」
「ガミラスの捕虜を殺そうとした古代は、間に回想が挟まるだけで、一瞬あとに捕虜の命を助けているが、それは筋が通っているのかい?」
「そうだ。あれはあれで、きちんとドラマ的な筋は通っている」
オマケ §
「でも、機械に感情移入できちゃう人もいるみたいだよ」
「それどころか、宇宙人や怪獣に感情移入できちゃう人もゴロゴロいるぞ」
「なんでそうなるんだよ」
「そこには存在しないはずの人間的な感情を見出してしまうからだろう」
「それを期待するのはダメなの?」
「万人が付いてこられない。全員がそういう想像力を持っているわけではないし、発揮するわけでもない」